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1999|June|July|August|September|October|November|December|


December 14, 2000

Audrey

久しぶりにヘプバーンの映画を観た。
"Paris - When It Sizzles" 邦題「パリで一緒に」。

1964年のカラー作品だ。
コメディタッチで、独特の場面展開が軽妙だ。
共演のWilliam Holdenも実に愉快。

"Romans Holiday"(1953)からすれば、
実に十年後の作品なわけだが、
Miss Gabrielle Simpsonは、とってもキュート。
Audreyの魅力は何も変わらない。形容するのは野暮だろう。
それこそ全てのしぐさがAudreyだ。
基本となる場面が限定されているので、
彼女の装いは3種類くらいしかない。
でも、これがまた魅力的なのだ。

煙草を吸っていたって、Audreyが吸えば、
それは特別なたしなみになる。
おてんばぶりも、ちょっとあだっぽいしぐさも、
全て彼女だからできる特別なシーンになる。

(白黒でなく)カラー作品だから、ということもあるけれど、
この映画は一際色彩がきれいだ。
最近写真に凝り気味だから、ということもあって、
こういう色彩の雰囲気にもちょっと敏感だ。

細かいことはどうでも良いけれど、
ふと観ただけで、こうして魅了されてしまうんだから、
たまらない。

僕は「協奏曲」というドラマが好きだ、と書いて有るはずだが、
ここでの宮沢りえには、ちょっとAudreyに似た魅力を感じる。
「どこがどう」・・・って、説明するのは、これも野暮ってものだ。
September 19, 2000

●題名をつけるということ

何にしても、題名をつけるということが苦手だ。
名前をつける、ということが苦手だ。

自分だけが使うものなら、別に名前は要らない。
数字で充分だ。

しかしそうもいかないものがある。
犬がいればやはり名をつけないとどうにも呼びようがない。
何か売り物とか、公的な企画とか、そういうことであれば、
合理的で解り良い名前とか、いかにも売れそうな名前とか、
この範囲で名前を付けなくてはならない、とか、
何か条件が付くから、難しくは有っても、それなりに方向が掴める。

しかし、こうした詩や絵などにも、やはり名前をつけないと、
と思うのだ。つけなくても良いのかもしれないが。
こうしたものの場合は、別にどういう名前にした方が都合がいいとか、
そういう外部に向けた条件があるわけではない。
しかし自分だけが見る訳でもないので、外に出す場合には、
何か名前をつけたいという気持ちにもなる。

僕はこれが上手く出来ない。
絵を描くとき、眼に入って来たものや頭に浮かんだものを表すと、
それが絵になるが、その出来上がった絵に名前をつけるというのが出来ない。
絵を描く動機になった印象を、一番簡単に表すような言葉を、
名前にすれば良いなどと仕方なく思っているが、
当然ながらその衝動は弱く、何か中途半端なものに終始している。
何かを作り終えた後で、それらに名前をつける気がしない。
僕の書いたものは、殆どすべて仮題なのかもしれない。

ましてやサイトに名前をつけることも上手く出来ない。
これは僕の詩のノートの一部であるという、それだけだから。
僕の詩のノートには名前はない。僕の名があるだけだ。
子供の頃に、クラスの皆で同じモチーフを描いたとき、
何組何番の誰それが描いた絵、という風にしか題名がつかなかった。
そんなのと同じことで、僕はそれが一番心地よい。
だから、サイトだからといって、
名前を付けるのも、僕にしてみれば、おかしいといえばおかしい。
無理につけようとするから、どうも不自然なもの、
むしろあえて不自然なものを選んでしまう。
つけた名前で内容を包むことにもかなり抵抗感が有る。

「自分の名前」は、悪くない。これは最初から自分に向けて呈示されていたものだから。
親につけてもらった名前や、人からつけられたニックネーム、
そんなものをそのまま表示するのは、不快でない限り、
サインするのと同じで単純なことだ。
ただ、こと、筆名の類となると、これも自分ではつける気がしない。
tomo-noriは、僕の本名の、下の名前。何も考えた訳でもない。
「-」を入れたのは、サイトを立てる際にアカウントが重複しないように、
多少もじっただけ、何を考えた訳でもない。
しかしこうした詩作の場面で姓を入れて名乗ることはしたくない。
自分の姓といっても、結局は片方の親の姓を名乗ることになり、
何か姓というものも辿っていくと枝別れで抵抗があるので、これはしたくない。
もし何か新しい自然な姓をつけるとしたら、どうしたら良いのか、
僕にはサッパリ解らない。


September 1, 2000

古いカメラを手にとって

9月に入ったこととは特に関係が無いが、
今回は写真の話題。

僕は写真を撮ることがそれほど好きでもない。
どちらかというと、良い風景こそ、
自分の目に焼き付ければ良い、という方だ。
しかしそれもこのカメラと出会うまでの話。
最近は写真やカメラに興味が有る。

ヤシカ・エレクトロ35GX。
1975年製、ほぼ僕と同い年のカメラだ。
6月頃、押し入れから取り出したのだ。
手持ちのコンパクトAFカメラでは、
ピントが実際に合っているか確認できないため、
なまじAFなだけに個人的に失敗写真が多い。
それに「どこかにピントがピッタリ合ってしまう」
ことにも不満を感じていた。
しかしカメラには疎かったので、
一眼レフなど持っている訳もない。
結局は固定焦点のカメラで撮っていたのだが、
ふと、マニュアルでピントを合わせるカメラがウチにも有った、
・・・このカメラを思い出した。
家族のもらい物だが、誰からもらったのか判然としない。

エレクトロで撮った写真を見てみる

当時で言えばお手軽カメラであり、
AE(自動露出)用に「電子シャッター」
を装備しているところから、
この名前(エレクトロ)がついているらしい。
情報によればなかなかの名機でもあるらしい。
今手にとってみると、なかなか味わい深い。
当時としてはカンタン操作を狙っていたモデルだが、
まだAFなどはない。ピントと絞りは自分で合わせる。
一眼レフではなく「レンジファインダー」カメラ。
現在ではこの方式は高価なライカなどが有名である。
「高級機=一眼レフ」という訳でもないのだ。
今ではコンパクトというとAFばかり。
しかし、カメラの本を見ると、
60〜70年代では、「レンジ〜」は、
普及型カメラに大変ポピュラーな方式であった。
2つの画像が重なるようにしてピントを合わせる。

色々の理由があるようだが、
最近のカメラと比べて、
20年ほど前のカメラは、普及機も高級機も、
全体に、丈夫でガッチリとしている。
このカメラにしてもそうだ。
部品やレンズなど、クオリティの高いものが奢られている。
40mm、F1・7と大変明るい(ということだ)。
古いというと不安にも感じるが、
もともとの作りがしっかりしているだけに、
10年前のものよりは、むしろ信頼性が高いかもしれない。
触った感じではそんなふうに感じる。

それに、マニュアル操作も大変面白い。
このカメラは絞り優先のAEだが、
ピント合わせと絞りは当然手動式だ。
確かにAFは、特定の局面では強力だが、
漠然とした風景を撮る際には、
やはり手でピントリングを廻す方が好都合なのだ。
花畑などを考えてみれば解るだろう。

そんなわけで、このカメラをきっかけに、
色々と写真機にも興味が湧いてきた。
中古屋などを色々回って見ている。
70〜80年代あたりのマニュアルカメラは本当に魅力的だ。
僕に上手なマニュアル露出ができるかは解らないが、
やってみたいものではある。
少し考えてみれば解ることだが、
手動操作でなければ撮るのが難しい写真があるのだ。
友達にカメラに詳しい人は幾人かいるが、
自分の使うカメラのマニュアル操作にこだわりを持っている、
という友人もいる。
そんなこともこのカメラをきっかけに段々と解ってきた。
マニュアル操作そのものは、現行のAF機でも行なえるが、
やはりマニュアル操作はそれ用に設計されたカメラが良い、
これは手にとってみれば解る。

しかし「このカメラ」が好きになったようでもある。
古いくせに電子シャッターを搭載するなど、
なんだかどこに魅力を感じるのかイマイチわからないが、
手にとって見て、実際に撮ってみて、出来上がりを見て、気に入った。
僕はこのブラックボディのエレクトロ35GXが好きだ。
ともかくも、十数年の眠りから目覚め、
2000年の風景をパチパチと切り取っている。

今になって不意に写真を撮る面白さを知ると、
この十数年、「撮っておけば良かった」と思うものに気づく。
スナップ程度には撮ったものも、もう少しマシに、
せめてこのカメラで撮っておいたら良かったと思う。
それは少し皮肉で、少し淋しい。
もう今は手に入らない風景がある。どうやっても撮れない写真がある。
残念だ。
でも、もともと良い風景は心に留めることにしていた僕のことだ、
写真にできなかった風景は今まで通り心にしまっておこうと思う。



August 20, 2000

お盆の東京の電車

お盆の電車は
とても空いているのだった
都会は 空いている
誰が休んでいるのか わからないくらいだ

乗り込んだ涼しい先頭車輌では
老犬を袋のようなものに入れたおばさんが
少しさみしげに笑って座っていて
犬のことで隣の人と話していた
その人が降りて
僕がその次に隣に座った
話をしたくてもなんだかできなかった
犬の匂いがして懐かしかった

向かいの席では
中学生だか高校生だか普段着の女の子たちが
何かのチケットを持って楽しそうに話していた
優しい目で犬とおばさんを眺めていた
席が何人かに分れていたのが
どこかの駅で人が降りて
別の人が彼女らのために席をつめてやり
皆横に並んで
降りた人に素直にお礼をいっていた
降りた人も楽しそうだった

左では どうやら乗る電車の方向を間違えたらしい老人が
僕くらいの青年に訊ねていた
青年も快く楽しそうに答えていた
次の駅で正しい電車に乗り直せるのだ
「東京は難しいですからねえ」
僕は次の駅で降りることになっていて
その紳士的な老人と一緒に降りて
ホームで話し掛けた
「○○駅方面ですか?こっちですよ」
僕は楽しかったし嬉しかった
ふたりで階段をゆっくり昇っていく
「いやあ美術館でエジプト文明展を見に行くつもりだったんですよ、
それが電車を間違えちゃってねえ」
「でも、なんだか東京が空いていると気持ちが良いですね」
「そうですね」

僕は駅を出た
青い青い空が広がっていた
いつもいつもこんな風だったら
どんなにかいいのに
皆、ほんとうは、思っているよりも
楽しく、やさしく、出来るのだと思った


August 16, 2000

●パッションフルーツ

初めて食べてみた。
見たことはあったかもしれないけれど、
食べたことがなかった。
ガムを噛んだことは有ったと思う。

店で買ったのではなく、
種子島で自家栽培されたものを頂いたのだが、

これがおいしい!
見た目は、紫色で、正直あんまりおいしそうな感じではない。
叩くと中は空っぽのような感じで、マジックボール?のようだ。
外からは殆ど香りもしない。
ところが、割ってみると、とたんに甘酸っぱい香りが飛び出した。
しかし中味は一見種ばっかりで、なんだか、大丈夫かなという感じ。
ところが、スプーンですくってみると・・・これは美味しい。

南国の雰囲気が溢れて、まさしくPassion。
甘酸っぱい香りが溢れ、適度に濃厚な味もたまらない。
ところであんまり「甘い」ものは好きじゃない。
スイカやメロン、バナナなども、あんまり好きではない。
とある外国、国内線の飛行機内で出された杏子類には閉口した。
ひたすら甘くて、やはり国による好みの違いを感じた。
僕は「甘酸っぱいもの」が好きである。「甘いもの」ではなくて。
例えば柑橘類、サクランボ、リンゴなど。
他のトロピカルなものでは、ランプータン、マンゴスチンなども好き。

だからどうしたという感じだが、
要は、パッションフルーツに感激したという話である。
あんまりおいしかったのでつい書いてしまった。
まあ夏だからこんなものも良いんではないかと言う話だ。

終戦記念日、僕は南国から届いたパッションフルーツを割った。
味気ない殻の中から、とても優しくて、華やかな香りが溢れて、
とてもとてもおいしかった。
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July 24, 2000



7月初めのこと、インターネットで、
僕のこのHPなどを通して知り合った方が、本を出された。
じっさいとても気に入ったので、紹介してみたい。

ヒキタマキ ヒキタアヤ 著
「甘いシロップはブルー」文芸社刊。


とてもステキな本だ。
フランスなどでの写真に独特の彩色を施したアートと、
表題のように、せつなくて甘い詩の組み合わせ。
姉妹でのコラボレーション作品というのも面白い。

正方形の小さな本、持っていてとても楽しい。

けれど、思えば不思議なもの。
ネットを通じて、このHPを通して、知り合った方なのだ。
色々のタイミングが合わなければ、
知り合うこともなかったかもしれないし、
僕がこの本を手にするのも、
どれだけ先のことだったかもしれない。

この本は僕にとってとても大切なもの、エポックなものになった。
自分もいつか本を出せたらと思うけれど、それはともかく、
ひとまずこうしてネットに詩を置いておいて、
とても良かったと思えた、そんな出来事だった。


July 7, 2000

●七夕というのに


折角の七夕、なのに夜空は大荒れ。

雨戸を開けるのも憚られるほどで、
庭に出て夏の夜空を見上げるどころか、
部屋でホットコーヒーをすする始末だ。

身近なところでは明日の交通が心配だし、
伊豆諸島方面も心配だ。
十数年前、大島に行った際、
帰ってきて間もなく三原山の噴火があった。

それでも、この空も長くは続かない。
これが過ぎ行けば、それはもう、
見事な台風一過の真夏日がやってくるだろう。

そんな七夕の夜、とりたててすることがなく、
半ば眠りながらふと観てみたのが、
夜11時から1時間という不思議な時間帯のドラマ、
今夜スタートの "TRICK"だ。
演出が面白く、これから観ると思う。

七夕だから何か書こうと思ったらつまらなくなった。
雨の音がしている。風でパラパラ、ザザアと吹きつける。
雨戸が鳴っている。ときどきがたがたと揺れている。
玄関のドアーを開けてみると、とても大きな音になって、
体がたちまち濡れたからすぐ閉めた。
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June 15, 2000

ハーブを収穫

梅雨入り前には、ハーブの収穫をする。
といっても、別にハーブに詳しい訳ではない。

ここ数年、庭に何気なく植えたミントの繁茂が激しい。
何も手をかけたわけではないのだが、
たまたま土壌に合ってしまったというところだ。
育てているというよりも、むしろ庭に自生している。
こうなると植物というのはいかにも伸び伸びとしてくる。
放っておくと、芝生の領域にどんどん生えてくる。
そこで、増えすぎた分を「収穫」というわけだ。
特に何に使うというわけでもないが、
陰干ししておけば、それなりに色々使いたくなるものだ。
これに気をよくし、冬にはローマンカモミールも植えてみた。
ミントほどの勢いではないものの、まずは順調に生育している。
今も窓を開けると、ほのかにミントの香る風が舞い込む。
もう梅雨に入ったが、雨上がりの姿などまた一段とみずみずしい。



しかし、日本の草の「草いきれ」も良いものだ。
虫取りに行った夏休みのあぜ道や草原はむせ返るほどだったが、
ハーブばかり生えていると、日本の夏草の香りも懐かしい。
最近気が付いたのだが、このミントの群生する中に、
タンポポが一株、葉を広げ、恐らくは深く根を下げている。
セイヨウタンポポだとは思うが、日本の草という感じがする。
このタンポポは敢えて抜かないでいるところだ。
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May 30, 2000

透明度の高いタンブラー

最近思わず衝動買いをしてしまったものに、
iittala社(イッタラ。フィンランド)のガラス食器がある。
しかしこれの透明度が値段に比して恐ろしく高い。
クリスタルのようだ、といっても言い過ぎではない。
ある日、デパートのエスカレーターを昇ったすぐ目の前に陳列されており、
たちまち目を奪われてしまった。
鉛を使わない製品造りをしているらしく、そんなところにも好感が持てる。
iittalaでは、様々のデザイナーの製品を扱っている。
僕が買ったのは、AINO AALTOのタンブラーだ。
一個800円。久々に気に入ったもののひとつである。
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April 9, 2000

●エアロバイク

エアロバイクというものを買ってみた。
別に空を飛ぶバイクではない。
いわゆる自転車こぎのトレーニングマシーン。
エクササイズ・クラブなどによく並んでいるやつだ。
ま、最初なので、ごく安価なものを購入した。

サイクリングというか、自転車には良く乗る。
気が向けば、20キロ程度は走ってくることも多い。
スポーツタイプの自転車、例えばATBの場合では、
サドルを前後したり角度を変えたり、
ハンドル角度なども調整する。場合によっては部品を換える。
各部分解等しやすく出来ているため、簡単な工具一式が有れば、
いわゆるママチャリよりも、簡単に整備や修理が出来る。
マウンテンバイクは巷に溢れているが、
一部は、ルックタイプと言われる物で、「形だけ」なのだ。
この場合は、そうしたこまかな整備は自分では出来ない。
各部を自分に合わせることは、面倒なようだが、
それによって、体の特定部分に負担をかけることなく、
よりラクに走ることが出来、
結果的には、無理なく、良い有酸素運動が期待できるのだ。
ある程度走り込むならば、そうした調整・整備が出来る自転車の方が良い。
屋内保管ということも必要になってくるが・・・。

ランニングも好きだが、関節に負担がかかることもある。
体は疲れていないのに、足がNOと言ってしまうことが有る。
田舎道や砂浜といった路面なら良いが、
アスファルトは、結構足首や膝が心配だから、良い靴なんかも必要になる。

しかし自転車にも問題は有る。実際、最近はランニングの方が多い。
先に書いたような、整備も、メンドウと思えば、それは面倒だ。
梅雨どきにはあまり機会が無いってこともある。
真冬なども、すぐに体が暖まるランニングの方が良いかもしれない。
(ランニングで体を暖めてから自転車に乗れば良い訳だが)
安全な道を選ぶと、結局いつもおんなじ様な道になるから、
おんなじ景色を見ているのも、飽きてしまう。
遠出をするのも良いが、道に不安なときは、大きな道路を使わざるを得ない。
そんな時、トラックがゴウゴウ、煙がモクモク、
排気ガスの中を走るのはまったくしんどいもの。
体を鍛えているのか悪くしているのか解らないほどだ。

そこで、というわけでもないが、
とにかくエアロバイクなんてものに眼が向いたのだ。
今回のは、安いものだから、僕の愛用自転車の様には、ジャストフィットはしない。
調整個所が少ないのだ。それは仕方がないだろう。
しかし総体的に見れば、これはいい。
簡単なメーターが付いており、何キロ走ったかを見ながら走ったり、
あるいは、予め距離を設定して、そこまで漕ぐなんていうことも出来る。
ま、計測などは、実際の自転車にメーターをつけても出来ることだが、
テレビを見たり、FMラジオを聴きながら、
安心した気分で、すぐにシャワーを浴びられる状態で楽しめる。
さすがに、本を読みながら、は無理なようだが、
やっぱり「ながら」は、ラクチンだ。
重い負荷を設定して、思い切り汗をかくのもいいし、
日課として、何気なく軽く漕ぐのもまたいいだろう。
体を動かすと、気持ちもクリアになって、いいことばかりだ。

ギーコギーコと騒音があるんではと気にしたが、思ったほどでもない。
アパート・マンションの上階で深夜に行うなどは避けたいが、
あんがい静かなものだ。
家庭用といっても、高いものは10万円ほどするらしいが、
マグネット式で程よい負荷がかけられ、
カロリー計算や、記録のメモリー、
果ては、機械が自動的に負荷を変化させてくれたりする、
そんなハイテクなものすら有るらしい。
各部のつくりがしっかりしていれば、静かで、体にも良いだろう。

それでも、実際の自転車の良さは捨て難い。
何が違うといって、汗をかき、熱くなった体で、
ペダルをとめて、ススーっと下り坂を空走する、
熱い体を涼しい風が冷していく、あの清々しさ、
あればかりは、本当の自転車じゃなくちゃ、味わえない。
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March 8, 2000

マスク

冬も終わり、春風の気配も感じられるころになって、
その春の気配のせいか、ようやくこの冬初めて風邪を引いた。
そこでマスクをしてみた。
一年に一度くらいしか、使わない代物だ。
マスクをしてみると、目と鼻柱だけが外部に露出する感覚になり、
ちょうどマスクからやや上のあたりの感覚が強くなる。
目からマスクの間のあたりに感覚の中心がくる。
口の存在が薄いものになる、あるいは隠される。
そうすると、ちょっとメモをとっているだけでも、
寡黙な研究者あるいは、執刀外科医のような気分が漂う。
風邪の為、テンションは低い、
なおのこと、表情に無意味な真剣さが含まれてくる。
なにか大層な目的の為に、顔を覆っているようだ。
口というものは、喋ったり、食べたり、笑ったりという部分であるから、
内面を外部に流出し、ともすれば、それこそ災いを招くことも有る。
塞いでしまえば、それが封印されるという訳だ。
普段から表情を知る人であれば、マスクの裏の顔も類推されるというものだが、
マスクをしている人の話す言葉は、その内容がより純粋に抽出されるかもしれない。
食べるときには外す訳だが、1日マスクを装着していると、
口というのは、食べるときに開けなければならないという、
ごく当たり前のことに気づく。
反対に言えば、声自体はマスクごしでも出る訳だから、
食べるとき以外は、チャドルの様に、常に隠していても、
良いという訳だ。
こうしたことは、ヘルメットその他様々な「顔覆い」に言えることだが、
なかでも、変哲の無いマスクをしていると不思議な安心感が有る。
それはなぜだろうと思ったら、
「給食当番」を思い出していたのだった。
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February 10, 2000

長い本を読んでいるうちに

昨秋から長い本を読んでいる
気がつけば年をまたいで
僕も一つ歳をとり
日に少しずつ、時には一度に読み進んで

そんなうちに、
思いもかけないこと、
思いのなかにあったこと、
単なる予定していたことの実行、
ともかく様々のことが起きる

懐かしい街を訪れて、
公園のベンチに腰掛けた
春の気配が 僅かだが確かに感じられ
父親は子供にサッカーを教え
若犬を連れた老人が佇む

そこでは、僕は本を読んでいる人だった

僕には 僕の理由があって
そこに行く必要があった
うってつけのあたたかさだった
この本を読むのにもまた、
ちょうど良いあたたかさだった

全てあたたかな陽射しのなかでの風景

春が来て、庭に植えた花も咲く頃
この本を読み終えているのだろう
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January 11, 2000

これ、ちょっと面白い!

HOT WIRED の Annimation Express

Annimationといっても、TVのようなものとは違い、
ショックウェーヴ等を使用したクールなコンテンツ。なんとも独特の世界だ。
ここではアメリカ他、様々なアーチストの作品がオンラインで観られる。

200KB〜程度、数分間のムービー。
昔ふうのものや、今っぽいクールなものも。
(基本的には笑いのあるもの)

Webコンテンツとあって表現に制約があるぶん、
独特の味があって面白い。これは新鮮。

いろいろあるので迷ってしまうけれど、
比較的軽い「The Lycette Bros.」も無声映画のようで面白い。
ナオキ・ミツセ氏の大作「Sex Slave」シリーズが大の気に入りだ。


Happy New Year!

2000年がやってきた。
なんだかいつまでたってもやって来ない未来のような気がしていた。
「2001年宇宙の旅」だとか、なんだとか、そんなイメージをずうっと持っていた。

ドラえもん(子供のころ良く読んだ)は、「22世紀」からやってきたことになっている。
こんな設定はさすがだなあと思う。

千年紀で忘れがちだけれど、「90年代が終わった」という実感が大きい。
76年生まれの僕にとっては、90年代は大きなシーンだった。

しかし、「90年代」「76年生まれ」とフタケタで言っている。
一個人のスパンとしては2070年のことは想像できない。
そんなわけだから、2000年問題が起こるのも解るような気がする。

皆様にとって良い一年になるようお祈りします。

地球上全てにとって良い千年紀になることを願います

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December 25, 1999

●Merry Christmas!

日本の日付では、今25日になった。
最近じゃあ、さして気になるイベントでもないけれど、
部屋にカレンダーがある限り、忘れてしまうことはない。

住宅街の子供たちも、街行く高校生も、お父さんも、なんだか嬉しいんだろう。

子供のころは、イヴの日、終業式だったから、
色々なコトがごっちゃまぜに嬉しかった。
子供たちの多くにとっては、いつのときでも、大切な大切な日なんだろう。
目に見る景色が華やかで穏やかで平和なら、それはそれでイイ。

なにより、冬至から今日のイヴまで、冬の澄んだ夜空がキレイなんだ。
僕にはそれで充分だし、それ以上のものはない。



December 23, 1999

●ケイゾク

TBSで夕方に再放送されているドラマ「ケイゾク」がなかなか面白い。
クリスマスイヴに特別篇が放送されるよう。



December 1999

●走ってわかる冬

気が向いた時にジョギングをするけれど、面白いことがある。
とにかく寒いのだけれど、回るコースの地点によって違うのだ。

当たり前だけれど、見晴らしの良いところに行けば寒さに押されるし、
家々の立ち並ぶ中に来ると、いくらか暖かい空気を感じる。

風が強い日であっても、住宅街に来ると楽に感じるし、
無風の日であっても、広い場所ではひどく風が厳しく感じる。

人によって、時によって、感じている冬の寒さも違うと思う。
ひどく寒くても、そのなかに輝きや暖かさへの優しい希望を感じられるときもあれば、
すこしばかり寒いだけでも、本当に寒くてそれだけで淋しいときがある。

●今観ている連続ドラマ

話題としてはいまさら、という感じだが、
ある程度観てみないと解らない、と思っていたらどれも佳境になっていた。
「危険な関係」、「美しい人」、このあたりは、やはり俳優の好みからしても、
とりあえず迷わず観てみたという感じ。
まあこの時期当たり前のことを書いても仕方がないので、細かいところで言うと、
「危険な関係」では、秘書役の篠原涼子さん、
そして、なんといっても余貴美子さんがいい。・・・上手くはまっている感じ。
それプラス、何故か観ているのが「恋愛詐欺師」。
毎クール、ドラマって、予定外の中に思わぬいいものがあるけれど、
今回はこれがそういう感じ。「危険〜」の前の時間帯、
単発のお話なのでなんとなく観てみたら良かった。
劇画的な割きったヒーローがかっこいい。

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November 10, 1999

●ZIPドライブ他

ZIPドライブを導入してみた。
雰囲気が好きなのだ。
なんともガッシリしている。メディアが重たい。それを納めるケースもプラが厚い。
(もちろん機能はバッチリ)

普通のフロッピードライブの様な力で押しても入らない。グイと押しこむ。
バネが硬く、イジェクト時も、良い感じで大きな音がするのだ。
といって、がさつなフィールではない。各部のしっかり感が操作ごとに楽しい。

こういうのが好きなのだ。

手にするキカイは、丈夫で、重く、硬く、四角い方が、かわいくて好きである。

つまらない実用品の一つ、そんな匂いのする方が洒落て感じる。

色なら、モノトーンか、むしろビビッドに原色。
キカイに関して言えば、あまり微妙な色は好きじゃないのだ。
Macなんかは、有機的だけど、押さえる所が当たっていると思う。

(又別の意味で、ほんとはイタリア製なんかが面白そうだが、あまり目にしない。
日本では、ドイツ製PCというのも聞かない。)


November 3, 1999

●道案内

日も落ちたころ、都内某駅前にて、外国の方に声をかけられた。どうやら一人で道に迷っているらしい。
住所しか載っていない紙切れを頼りにしている。
紙を見てもなんだか良く解らない。時間帯を考えてみると・・・おそらく、
「イズィスォテール?」「イエス、オテールオテール」やはりそうか。
今現在、英語はてんで話せないに等しいが、とりあえずやってみることにした。
そんなことではむしろ迷惑かなあと思ったが、請け負った。

僕はそのホテルを知らないので周りの人に聞いてみたがそれほど有名ではないらしい。
そこで、駅前売店のおばさんに聞いてみた。
仕事中、慌て気味且つくどくどしく説明を求めたため、半ば怒られてしまったが、道はしっかり教えてくれた。
そう難しい道ではなかったが、英語じゃ説明できない。五叉路の先なんてどういったらいいのか。
「プリーズ、フォロミー」結局そういうことになる。
「アーユーセイム?、タイム、オーケー?」と気を遣ってくれた。
本当は、時間はぎりぎりだったし、僕の目的地とは逆方向だったのだが、
「セイムセイム、アイヴイナフタイム」
だいぶ遠くに看板が見えてきたが、縦書きで日本語のみ。
「あれ、あの看板ね」と言いたいところだけれど、
都会のネオンの中、その特定の看板を説明できない。
「ザッ、バーティコーレター、ウレッドイルミネイシャン」と指差してみたが、
それは通じたのだかどうだか解らないままに、結局玄関に辿り着いた。

こういう道案内はたまにある。
当たり前だが、いつも突然の出来事なので、なんだか嫌いではない。
親切らしきものをして気分が悪いはずもないが、それだけじゃない。
それまでの自分の気持ちなどと一切関係なく行動するのが面白いし、その後の気分を新しいものに変える。
外国人に道案内をしているときの僕は誰でもなくって、ただの現地人。というのがいい。

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October 2, 1999

●10月の由比ヶ浜で

友人と鎌倉方面に出向いた。
10月に入ったとは思えないほど暑かったため、
由比ヶ浜では、ショートパンツに履き替え、海水浴まがい。
浜にはそれなりにゴミがあり、これは淋しいところだが、
海に入ると、足元の水や砂は意外にきれいだ。

カラスやハトが飛び交っていた。

何かが打ち揚げられている。見れば、ハコフグがあちらにもこちらにも・・・。
なきがらを手にとってみれば、かたい背中が愛らしい。
カラスたちはこれをついばんでいた。ハコフグは無毒とされている。

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September 28, 1999

●協奏曲

関東地域では、協奏曲が再放送開始。TBSで午後5時からだ。
もっとも好きなドラマのひとつ。
ここでは、田村正和さんが建築家を、才能ある建築家志望に木村拓哉さん。
宮沢りえさんをまじえた、3人のステキで純な協奏曲が奏でられる。
とりわけ、ドラマ後半、田村さんの台詞まわしには身が震えるほど。
96年秋に放送されたが、こうして今年も秋に再放送は似合い。
ヴァネッサ・ウィリアムズの主題歌「アルフィー」も堪らない。


September 22, 1999

●蚊の発生

夏の間、まるで蚊がいなかったのだが、ここに来て増えている。
寝床で夢うつつに蚊をはらっていると、季節がわからない。
都内ではそういう話は無いらしいが、
ウチの近辺10キロ範囲くらいでは同様の現象がみられるようだ。
なにせ生物、年毎に多く出る種類や発生パターンが異なるのも当然だ。


September 10, 1999

●外で顔を洗いたいとき

まだまだ湿気があるし、電車などに長く乗っているとどうにもスッキリしない。
街中で顔や手を洗いたくなることがある。

要はサッパリしたいのだが、
「洗面所」や「化粧室」で顔を洗う気にはならない。
「お手洗い」で手を洗う気にもならない。
こういう所でサッパリできるとは思えない。

だものだから、
水筒のお茶をハンカチに滴らして手を拭いたりしている。
これはリフレッシュにはなかなか使える手段。

しかし、ともかく、純粋に顔を洗うだけの場所があってもいい。
自分は男だし化粧はしないとしても、
顔を洗ったり、じっくり眼鏡を洗ったり(眼鏡ユーザならこれは解るだろう)、
そんなキレイなスペースがあって困りはしない。



September 1, 1999

●9月か、季節の区切りって

ともかく9月になった。
体感的にはともかく、なんだか、9月1日になると、
どうあれ、夏は終わりっていう意識になる。
学校の夏休みの印象が強すぎるんだろう。
関東で育ったから、そうなるのか。

日本の四季の区切りって、強引に月で四「等分」すれば、
「3、4、5」「6、7、8」「9、10,11」「12、1、2」
としても、おかしくはない?今度新明解辞典で見てみよう。

実際の体感、風、空、虫の声その他諸々で、例えば夏の終りを感じるのだが、
やっぱり、カレンダーをめくって9月になったり、12月になったりすることでも、
意識は変わる。これも無視できない。

いつから夏になるのか、
僕は最近、5月に初夏を感じたころから。その方が得な感じ。
それから8月終りまでを夏って感じているかもしれない。

いつから冬になるのか、
はっきりしない。10月は秋だが、
11月が良く解らない。途中から冬っぽく感じる。

つまらないことを書いた。
区切りなんかはどうでも良い話だ、場所が変われば意味が無い。
ノートを見ても、明らかな夏や秋の中にいるときだけ、
「○○年、秋」なんて書いてある。

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August 24, 1999

●最近良かったドラマ

16日だったと思う、(単発の2時間もの)
「同窓会へようこそ ─遅すぎた帰郷─」
豊川悦司、加藤あい主演 脚本:成田はじめ 源 孝志

トヨエツさん出演作品は「青い鳥」をはじめ、好きなものが多い。
東京で家庭を持って何気ない日々を暮らす男のもとに、
ふいに、同窓会の名簿が届く。20年ぶりに、
(少なくとも意識のなかでは)忘れかけていた倉敷に帰ると・・・。
SF的な要素を自然に織り交ぜた美しく切ない展開。

加藤あいさんはあまり劇中で観たことがなかったので、
失礼ながら、どんなものかと思いきや、
観てみれば、
以前からCM等で清楚な魅力だが、
その一部のもっともきれいなところを、ごく自然に、作品全般に落している。
ここにきての素晴らしい演技で、作品も見事に昇華。今後が楽しみ。

良いドラマでは、脇が良いのは当然だけれど、
爽やかな異母兄弟役を演じる金子賢さん、
さらには風吹ジュンさんらが、これまた素晴らしい。

聞けば、豊川さんが脚本を見て、「これならば」ということでGOサインがでたとか。
お盆の時期にマッチしたドラマ企画でもあったが、
単発ドラマとしてみるには惜しいほど。
幸いビデオに録ったから、また何度も観たい、そんな作品。

今や伝説的になった'93「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」
(CX系「If もしも」 シリーズ、タイトルは↑これで合ってるようです)
などもそうだが、時に、思わぬものが単発ドラマで流れることがある。
どうしても見逃しがちなのが残念。

この話とはまた別に、豊川さんの魅力には参る。
電車の広告で、あれはタバコのセブンスターだったと思うが、
モノクロの、工場だか倉庫の外の壁の様な、とにかくとても淋しい風景の中に、
小さく、彼が佇んでいる・・・あの広告は好きだ。


August 13, 1999

●ライ麦畑でつかまえて

これ、読んだことが無くって、ただ名前ばかり知っていたんだ。
それがさ、ある子と本やなんかの話をしてたらさ、
なんか、読んでみたいけどまだ読んでない本ってのが二人ともコレだったんだよね。
僕は、なんか、題名から想像しちゃってさ、女の子向きの恋の話かなんかだと思ってたんだ。
それがそうでもないっていうんでさ、さっそく買って読んでみたらね、
─実は母さんが、多分50年くらい前に買って持ってたんだけど─
これが結構よかったね。「車輪の下」とかに似てるんだ。似てないかもしれないけどさ。
まあ、それはともかく、アメリカの本ってのは、なんだかあまり縁がなかったんだけど、
これで、ほかのも、いくらか読んでみようっていう気になったね。
別に、だからどうということもないんだけどね、
でも、例えば自分が読んでなかった本をさ、
ひとに薦められたりして読んで、結構よかったりするって、
あんまりよく有ることでもないし、うれしいことなんだよね。


August 4, 1999

●数型

心理学用語で、「数型」(すうけい)というものがあるという。
「共感覚」なるものがあり、その一種らしいが、比較的稀な感覚らしい。

なんだかわからんが、
どうも僕はこの「稀な感覚」の保有者とされるらしい。

僕は、年間予定や過去の記憶を思い起こすさい、楕円形をイメージする。
ちょうど、陸上競技場のトラックのようなもの。
今、夏というと、その一方の長い部分に相当する。8月は、その後半だ。
過去の記憶は、その実際の光景・印象とはまた別に、
このイメージを伴って、日時を記憶している。未来についても同様だ。
妙にはっきり「あれは何年の何月」と憶えていて珍しがられたことも多い。

言葉では伝えづらいが、特定のイメージであり、
かつ頭から排除することは不可能。
便利なのだが、意識して身につけたわけでもなく、
3才だかいつだか、ともかく1年12ヶ月を知ってから、ずーっとこう。
そういったことをふまえると、数型という現象に相当するらしい。

物事をイメージ化して捉える、
意識して行う分には、なんでもない普通のことだ。
実際、暗算や音程など、イメージ化しているケースが多いだろう。

ある種の幾つかの例に関して、数型なる奇妙な言葉をあてはめるということらしい。
(はっきりした定義が解らない)
このイメージのことは、
友達や家族とも、たまに話題にしていたが、説明する用語があるとは知らなかった。

うーん。なるほど・・・長年の疑問にスポットが当たった感じ。
しかし、別にエラいわけでも無いようで・・・。

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July 27, 1999

●空が不思議にきれいだ

ここのところ、大変な暑さだが、日中、意外に風が強く、時折、変わった空になる。
今日の空などは、まるで小学生の絵。
一種、飛行機の上から見る青空にも似た、何も無い真っ青な空。
白い、オモチャみたいな無邪気な形の雲が流れると、異常な程のコントラストだった。
夏とも秋ともつかない、不思議な空。
電車から、街並みや川景色を眺めると、レゴブロックの街のよう。


July 19, 1999

●NTT DIRECTORYに登録完了

NTT DIRECTORYに登録完了を確認。嬉しいものだ。
これに伴い、一応カウンタも設置。このサイトも本格公開開始といったところ。
色々な人に見てもらえる可能性が高まったわけで・・・、楽しみ楽しみ・・・。


July 10, 1999

●TOKYO EYES & HANA-BI

を、レンタルで観た。

"TOKYO EYES"は、既に映画館で観ている。
(ジャン ピエール リモザン監督 武田真治&吉川ひなの、杉本哲太、特別出演ビートたけし)
フランス人監督がTOKYOを舞台に撮った作品。
細かい感想をいうのは好きじゃないが、
ともかく、とてもおすすめの作品。おしゃれな映画でもある。
観た人があったら、メールでも欲しいもの。

劇場で見た上で、時間を置いて、改めてヴィデオで観てみるのもいいものだ。

春の陽射しと秋冬の陽射しは似ている。
高いビルのラウンジのシーンが有る。その陽射しがとても暖かい。
そこでは眼下に銀座が見える。僕の観ている映画館のある銀座が見えた。

映画館では、去年公開直後(98年)の秋に観た。
しかし、撮影は97年の春のようだ。
さらに今、ヴィデオで改めて観るわけだ。とても不思議な感じだ。
たとえば、撮影されていたころ、僕は何を考えて、どこにいたのだろう?
・・・わりと幸せだったはずだ。あのころ部屋のカーテンを替えたっけ、それともどこにいた?
そんなことばかり想う。3つの時間が交錯する。

"HANA-BI"は、今回初めて観た。
確かにいい。しかし、人を撃つシーンが多い。
もちろんそれを「そのまま」受け止めるわけではないが・・・
北野作品では、"あの夏、いちばん静かな海"(1991)なんかが良かった。
91年といえば・・・さらに時間と光景が頭を巡る。


July 7, 1999

●七夕

今、日付が七日になった。明日の夜は七夕。
「7月7日、晴れ」となってほしいもの。

小学生のころ、この時期がとりわけ好きだった。
(今でももちろん大好き)

今でも、「七夕合唱祭」の光景が断片的だが鮮やかだ。
幾つの年に何を歌ったか、そんなことは憶えていない。

あと2週間で夏休み

そんなときめきと共に学校に通ったり、
帰ったりしたことを良く憶えている。

たんざくに、どんなお願いを書いたのだろう?
笹にさげればみんなに見えてしまうものだから、
子供なりに見栄を気にした願い事を書いたり、
あるいは単なる悪ふざけも有ったろうか。

その願いが叶ったのかどうかも、憶えていないし、解らない。


July 1, 1999

●七月になった。

今ごろになって関東は梅雨ざかり。
今日はその晴れ間ということだったが、それも午前中にわずかに日が差しただけ。
うーん、こう、パッと日に当たりたい人、我慢ですねえ。

●色々な生き物が出てくる季節になると・・・

所用で原付バイクで出かけたが、うーん、「また」。
何が「また」かというと・・・
うちの周りは緑が多いし田も有る。虫やら鳥やらたくさんいる。

で、バイクで1キロほど走ったところで、何やらヘッドライトの上にちょこりと乗っている。
夜のヘッドライトの灯りに透けて、3センチくらいのガラス細工のようなものが。
???もしや。・・・やはりだ。カエルさんである。可愛くぴったりと前を向いている。
うちからずーっと乗ってきたんですね。

(前、大きなバッタが同じようにミラーにはりついていたことが有った。
でかい虫が苦手なものだから、オロオロ考えているうちに道路に飛んでいってしまった。)

それにしても、夜遅くだから少し飛ばしてきたってのに、よく大丈夫だった。空力いいのね。

仕方ない。うちの周りの田の有るところまで引き返す。

・・・しかしどうして持ち帰ったものか。それが問題だ。
ちょっと押して歩いて戻る時間がない。乗って走るしかない。

背負っているバッグに入れたいが、色々重いものが入っているから危ない。
チャック付きポッケ様のものは服に無い。ズボンのポッケでは不安だ。

結局、しばらく掌のなかに入っていただきながら、走行することにする。
手に何か持つということは、手をグーにしていかないと行けない。
さて、となると、どちらの手にしよう?

左手・・・わずかな距離とはいえ、クラッチを使わないと、うちまでは戻れない。
右手はスロットルと前ブレーキだが・・・OK、ブレーキは右足のみで行こう。
ゆっくりなら後輪ブレーキだけで大丈夫だ。
"グーにした"右手の手首あたりでスロットルをこするように操作してスタート。うん、大丈夫。
・・・ ・・・ ・・・
We've done it! 生まれた田んぼに到着。
カエルさんにとっては、まさにこれが「うちから5キロの大冒険!」。

・・・こんなことに真剣になって時間を使っちゃうんである。
大事な用のときにこうなったら、実際困る。

昔、高校の体育の授業で、バッグを開けたらカメムシ(!)がシューズか何かに付いていたことがあった。
取り除こうとして手を触れればどのような事態を招くかは言うまでもない。
結果、大ひんしゅくとなったことも言うまでもないだろう。

※注意事項
出かける前には生物の付着あるいは進入など良く確認すること。
昆虫及び両生類、或いは鳥類も有り得ます。魚類は極めて稀と思われます。
又、この場合、菌類・バクテリア等は対象外とします。

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June 24 1999

●歯医者さんに通っている人が美容室若しくは理髪店に行く場合の注意事項

受付をします。ここで保険証若しくは診察券を出さないですね。それは。

案内されたいすに座って、シャンプーの場合グワーンと倒れます。
1:ここで口を開けないようにして下さい。
2:痒いところございませんか?と聞かれたさい、左手を挙げないで下さい。
3:いすがグイーンと起き上がったとき、席左側にゆすぐコップを探さないで下さい。
終了後、次回の予約を取る必要は、特に有りません。

●へんなもの

ちっさいデスクトップパソコン。の形をした、計算機&世界時計。
10cm×10cmくらい。
ちゃんとマウスっぽいものが付いていて、これをクリックすると、
時計と計算機に液晶画面が切り替わる。
赤い箱に入って、LOFTにぽこぽこと平積みされてました。
買わないけど、これ、かわいいかも。3300円なり。


June 23, 1999

●公開

先日、このページも一応「公開」。まだ不備な点が多いが、まずは親しい人からお知らせ。
順次、内容の拡充を図る予定。

●フランドン農学校の豚

これも宮沢賢治。
農学校で飼われている豚が屠殺されるまでの物語だ。
生き物のことを考える立場からも、賢治作品は本当に参考になる。
農学校で教え、菜食者であったのだから、
当たり前といえば当たり前の話ではあるが・・・。
多くの人が ─何気なく─ 幾つかの作品を読んだであろう賢治だが、
そうした観点から諸作品を眺めると、また深い。

ともあれ、世間で評価されている文学作品には、
それぞれ一読の価値が有るということか。
「代表作」を読んで、自分に合うと思ったなら、全作品を読みたくなるが、
比較的マイナーな作品まで読んでいくと、思わぬ発見に遭遇することがある。


June 18, 1999

●ビジテリアン大祭

古本といえば、最近は宮沢賢治や川端康成を読んで(探して)いる。
一つの作家に惹かれると、作品を一通り読んでみたくなる。
宮沢賢治については、去年の今ころ改めて魅力を知った。
「ビジテリアン大祭」(宮沢賢治)。
ビジテリアン=ベジタリアンだと言うことは、買ってから知った。
ベジタリアンのお祭りで、反対派との激しい論戦が主な内容だ。
その内容も、ユーモアのなかにしっかりと鋭い。この人も、こういうものを書いていたのだ。

僕は魚介類は食べるが、哺乳類などは食べない。
はなはだ曖昧だが、食べる生き物については、自分の基準が有る。
この作品は、そうしたことを考えるにあたっても素晴らしい。
恥ずかしながら今までこの作品を知らなかったが、 思わぬところで良いものを見つけた。

●映画

先週は、「菊次郎の夏」を観に行った。

実は「HANA-BI」こそ観ていないのだが、僕は北野武作品が大好きだ。

ミニシアターや単館上映の空間が好きなだけに、大きな映画館には戸惑ってしまった。
反応というか、笑い声がすごい。この映画、確かに笑いの連続なのだけれど、
なんだか周りが爆笑の連続だと、あとで改めて独りでビデオででも観たくなる。

といっても、途中から、北野氏はそんな客席の光景も想像されているんだろうな、
と思ったら、それもまた楽しくなって素直に笑えた。

今日は、「卓球温泉」がTV放映。何気無しに観た。

新聞TV欄の解説では、松坂慶子さん演ずる専業主婦が「家出」、
温泉旅館に居着いて卓球による温泉町おこし?をするという。想像するだけで楽しそうだ。

とはいえ、監督さんのことも知らないし、余り大きな期待はもたずに観たのだが、
なかなかだった。

牧瀬里穂さんがFMのDJ役で出ているのだが、
なんだか、このFMラジオ放送の雰囲気がどうもおかしな感じだった。


June 15, 1999

暑いのが好きだ。とりわけ初夏は最高だ。

梅雨だから、そろそろ雨も降るだろう。
だが、今の所、まるで晴れて、まるで真夏だ。
汗をかくのは実に気持ちが良い。
それが不快である以上に気分が良い。
寒いのは、僕には淋しい。暑いのは、むしろ楽しい。

真夏でひどく湿気があるのも、僕は歓迎だ。
いかにもアジアという気がして好きだ。
都会では、排気ガスやなにやらの色合いも大きいが。

「ミス アプリコット」の石鹸シャンプーを使い始めて一ヶ月。
ハッカ油の香りが何故か懐かしい。

古書店巡り それは自転車で巡るに尽きる。
初夏の町並みを自転車でゆっくりと駆ける。
春雨どき、初夏、梅雨どき、
巡りたい季節には、雨も降る
本が濡れぬよう、デイパックのなかにはビニール袋
遠い出先でならば、歩いて探す。それもまた楽しい。

古書の刷られた日を確かめる
その時、僕はどこかで生きていて、
どこかでその本が刷られていた 思いを巡らせる。

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